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【コンサドーレ札幌内定】檀崎竜孔選手/全国優勝の舞台裏で起きた壮絶なドラマ




高校サッカーの強豪校エースといえば、最近はJリーグユースの選手に実力人気ともに引けを取らなくなってきました。

高校サッカーの存在意義をあげてきた強豪校のひとつ、青森山田高校のエースといえばサッカーファンから大注目されるタレントですが、そのプレッシャーたるや想像を絶するものがあるでしょう。

平成最後の選手権で2度目の優勝を飾った青森山田高校。

そのチームの10番を背負った檀崎選手もまた、将来Jリーグで活躍することと高校最後の選手権でチームを優勝に導くことの両方のミッションを背負っていました。

優勝が決まるホイッスルが鳴った瞬間、ピッチに仰向けに倒れこみ、両手で顔をおさえてむせび泣く姿が印象的だった檀崎選手の苦しかった胸の内を、これまでの経緯とエピソードで綴りたいと思います。

タレント選手として

サッカー競技場
檀崎選手と言えば、大会があるごとに注目選手として取り上げられる年代屈指のMFです。

印象としては「高体連のサッカーエリート」で、彼の戦績をみるとまさに順風満帆。

しかし青森山田中学・高校の6年間を常にトップ選手でいることがどれだけ大変なことなのか。

努力や人間的成長をもってしても檀崎選手が長くスター選手でいるには壮絶な苦悩との戦いが必要だったのです。

プロを目指した小学生

檀崎選手が青森山田中学に入学した理由は「高卒でプロになるため」

選手権で活躍してプロになるという目標を持ったのはなんと小学生の時。

仙台出身の檀崎選手はベガルタ仙台のジュニアチームで頭角を現していました。

しかしジュニアユースへの昇格を蹴り、同じ東北の強豪校青森山田中学を選びました。

親元を離れた当初は寂しくて弱音ばかりはいていたそうですが、父に「弱音を吐くならやめろ」と厳しく叱られ必ずプロになると決意を固めたのだそう。

青森山田中学ではエースナンバーの10番を背負い、キャプテンも任され全中制覇も成し遂げました。

中学時からJリーグユースの選手と肩を並べるような注目選手になったのです。

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高校でも大活躍のハイスペックな選手

全中優勝の10番でキャプテンという抜群の存在感で高校に進学した檀崎選手は、1年時からすでにレギュラーを獲得していました。

高円宮杯プレミアリーグでも先輩たちと一緒にピッチで活躍。優勝に貢献します。

選手権大会でも唯一の1年生として出場し、二冠達成の瞬間もピッチで味わえました。

檀崎選手は1年生のときからプロ入りほぼ確定と言われるようなハイスペックな選手だったのです。

陰りが見え始めた2年時

檀崎選手は二年時、次期10番といわれる7番を背負い高円宮杯プレミアリーグで5得点をあげランキング10位の活躍をみせました。

しかし二年時の檀崎選手は1年時の輝きと比較するとトーンダウンが否めませんでした。

注目度があがり対戦相手に攻略されはじめたにもかかわらず、自分の長所であるドリブルに固執して工夫を欠いてしまいます。また、短所を攻略する努力も足りず、仕掛けがワンパターンになってしまった檀崎選手は相手DFに簡単につぶされる場面が増えていきます。

そして二年時の選手権で青森山田は3回戦で姿を消す結果に終わってしまいました。

1年時優勝したピッチでの「もう一度この景色をみたい」という願いのチャンスは最後の選手権に託されました。

高校最後の一年間

ピッチに残されたサッカーシューズ
選手権敗退後、チームはすぐに今後に向けて始動しました。

青森山田中学時代からエースでキャプテンだった檀崎選手や、超高校級の三國選手など新3年生にはタレントも多く、二年前の二冠世代同様、個性的な選手が多く個々の実力も高いこのチームは当初から期待をされていました。

悔しさを胸に、自分たちの代で必ず選手権のタイトルを奪いかえしてみせると意気込んでいたでしょう。

そして、檀崎選手にとってはプロになるため、スカウトの目も意識する時期に突入します。

三冠を目指してキャプテンに任命される

新チームは「インターハイ優勝」「高円宮杯優勝」「選手権優勝」の3冠を目標に掲げます。

J1ヴィッセル神戸へのプロ入りを果たした郷家選手から10番を受け継いだのは檀崎選手。さらにチームのキャプテンを任されます。

青森山田中学ではエースでキャプテンという存在は過去にもいました。

2年前の二冠世代の10番高橋選手もそうでしたし、檀崎選手自身も、一つ下の武田選手も中学時代エースでキャプテンの重責を担いました。

しかし高校のチームでは過去の名キャプテンといえば中盤の後列で試合をコントロールするような選手が多く、チーム史上最高のキャプテンと称された北條選手や二冠世代のキャプテン住永選手など抜群のキャプテンシーを持っていた彼らがそれにあたります。

エースとキャプテンはそれぞれの役割に集中させるのが青森山田のセオリーだと思っていた私は、檀崎選手がキャプテンときいたとき少し驚いて、正直心配しました。

インターハイでの敗戦

最初の目標タイトル、インターハイでも青森山田は優勝候補として挙げられ、檀崎選手も得点王の期待がかかる注目選手でした。

しかしスカウトから声が掛かるはずの時期にプロからの誘いはゼロでした。

ようやく声が掛かったのは7月。J1のセレッソ大阪の練習参加をしますがクラブからの回答は「インターハイを見てから決断する」というものでした。

迎えたインターハイ。

初戦では初出場の伊賀白鳳高校に2-0で勝利。檀崎選手もダメ押しの2点目のゴールを決めました。

翌日の2回戦、昌平高校戦も三國選手と2年生エースの武田選手といういずれも注目の二人が得点を決め、そこから新チームの弱点が顔を出してしまいました。

このチームは個性的で向上心の強い選手が多い分、皆目立ちたがり屋。

自分も点を取ってやる!という欲から3点目を誰があげるかという競争のように前がかりになってしまい、守備の厳しさを失った結果、まさかの2-4の逆転負け。

青森山田の名勝負のひとつ94回大会桐光学園との試合では、2点ビハインドで迎えたアディショナルタイムに2点を返してPK戦で勝利したというような大逆転劇もあり、2点差は気持ちのゆるみが出て一番危険だということを一番知っているはずでした。

あれだけ「サッカーは2点差が一番危ない」と黒田監督に言われていたはずの選手たちがなぜ逆転を許してしまったのか。

もし北條キャプテンや住永キャプテンがピッチにいたら必ずここから引き締めてしっかり勝利していたのではないでしょうか。

何とか掴み取ったプロへの切符

インターハイでまさかの早期敗退を喫した檀崎選手のもとにセレッソ大阪からの断りの回答が。

プロ入り確実と目されていた檀崎選手に、周囲も心配して大学進学をすすめます。

しかし檀崎選手は高卒でプロになると心に決めていたので「チャンスが残されている限り挑戦したい」と意思を伝えて折れそうな心を奮い立たせるために一旦仙台の実家に帰省します。

そんななか、檀崎選手のもとにコンサドーレ札幌からの練習参加の誘いの話が舞い込みます。

ラストチャンスと決めて参加を即答し、札幌にむかったのは8月下旬。

ペドロヴィッチ監督から「決断できるなら私の元でやってほしい」という言葉を掛けられ、数日後コンサドーレ札幌から正式なオファーが届きました。

コンサドーレ札幌のサポーターからも歓迎の声が寄せられ、檀崎選手は夢だったプロへの切符を掴み取ったのです。

チームがバラバラに

インターハイでの敗戦後、青森に帰ったチームはまとまりのない雰囲気に。

練習中も気持ちの入っていない態度が出始め、自分勝手な行動をする選手も目立つように。

シーズンを通してリーグ戦を戦う高円宮杯プレミアリーグでも鹿島アントラーズユースに大きく勝ち点を離されていました。

一方で檀崎選手は高円宮杯プレミアリーグEASTでは得点ランキングトップを独走していたのです。
この時期、プロ入りを目指す檀崎選手はいわば就活中でした。

チームを引っ張る仕事のほかに自身の将来にも力を注がなければいけない状況で「自分が得点することでチームを引っ張る」という姿勢でしたから、チームは次第に檀崎選手の得点力任せになっていきました。

さらに例年力の差を見せる勝ち方をしていた選手権予選の青森大会決勝戦で、八戸学院野辺地西高校に2-1という大苦戦で辛勝。

高円宮杯プレミアリーグEASTでも最終的に2位に終わったことで目標の2つ目のタイトルも逃してしまい、チームの状態はバラバラに。

このままでは絶対に選手権での優勝は不可能と判断した黒田監督は12月上旬、まさに選手権直前に一度チームを壊し、チーム内に化学反応を起こす一か八かの賭けに踏み切ります。

最後の選手権

サッカーのスコアボード
選手権直前、テレビでは意気込みを語る選手たちの映像が流れました。

そこで私が「おや?」となったのはGKの飯田選手がキャプテンと紹介されていたからです。

「違う違う、青森山田のキャプテンは檀崎君だよ。間違ってる」とその時は思ったのですが、ふたを開けてみればキャプテンマークを巻いていたのはGKの飯田選手だったのです。

檀崎選手がキャプテンを任されることへの心配をしていた私ですがまさか最後の選手権でキャプテンマークを外されるなんて…と、気の毒になってしまいました。

キャプテン交代

中学時代からエースで10番を経験し、プレミアリーグEASTでは得点王。

卒業後はコンサドーレ札幌入りも決まっている檀崎選手が「キャプテンマークを外せ」と告げられることは例えようのないショックであることは想像に難くないですね。

それでも黒田監督はリーダーシップと責任感が強く、仲間に対して厳しい言葉を浴びせることのできるGKの飯田選手を新キャプテンに変更しました。

すべてはチームのため。
危機感で選手たちの心を動かさなければ優勝はできない。

「誰がキャプテンマークを巻くかということにこだわっているようではだめだし、それがプロへ行く者が背負う責任だ」と檀崎選手に伝えたのです。

ミーティングが終わり皆が部屋から出ていく中、「少し話があるから竜孔だけ残ってほしい」と新キャプテンの飯田選手が檀崎選手に二人だけのミーティングを申し出ます。

「竜孔が背負っていた重圧は俺が半分預かる。だから竜孔はプレーに集中してくれ」とかけた言葉に檀崎選手は「ありがとう」と涙を流したそう。

「正直すぐには受け入れることができなかった」という檀崎選手と、青森山田の10番を背負いながらキャプテンもつとめる苦難を理解して「自分がキャプテンの分だけ預かる」と言った飯田選手。

檀崎選手の涙は悔し涙でもあり重圧から解放してくれた飯田選手の優しい言葉にほっとした涙でもあったのでしょう。

荒治療で再構築したチームは選手権大会に向けての静岡合宿へ出発。

合宿では練習試合は1試合しか行わずに徹底的に走り込み、ボールを追って基本に立ち返る練習に終始します。

試合に飢えた状態で、チームは最後の選手権へ乗り込んだのです。

表情の変化

1年時から檀崎選手に注目していた私は、選手権での檀崎選手の表情の変化に驚きました。

今までどちらかというとさわやかなタイプのビジュアルだったのですが、髪は短く刈り、少年のような面影が消えて大人びた表情になっていました。

大会前は「青森山田の10番は決めるところで決めなければいけない」とコメントしていた檀崎選手。

それは2年前の高橋選手、昨年の郷家選手から受け継いだ青森山田10番を背負う選手の役割でした。

活躍できなければプロでも通用しないと強く意識を持っていたので当然得点王も獲るつもりだったはずです。

しかしキャプテンマークを外したことで「チームを引っ張る存在としてやることは変わらない」と、逆にチームの優勝だけに集中しているように感じられました。

逆転に次ぐ逆転

初戦となった草津東戦では6-0、つづく大津高校戦では3-0と順調に勝ち進んだ青森山田でしたが、檀崎選手はこれまでのような得点力を発揮できていませんでした。

準々決勝の矢板中央戦では2-1で勝利しましたが、先制点を奪われ、前半終了間際に二階堂選手のゴールで矢板中央の鉄壁の守備をこじ開けなければ流れはそのままだったかも知れません。

つづく準決勝、尚志高校戦は大会屈指の緊迫した好ゲームとなりました。

尚志高校の10番伊藤選手は檀崎選手の幼馴染。
家族ぐるみの付き合いで、小学生時には試合後どちらかの家で食事をしながら試合の映像をみていた仲でした。

試合は尚志高校注目の2年生アタッカー染野選手に先制点を奪われ、またもや追う展開に。

しかし前半終了間際にファウルによるPKを獲得し、檀崎選手が決めて同点に。

後半三國選手の高さを生かしたヘディングで2-1と勝ち越すと尚志高校もその5分後染野選手のゴールで再び2-2の振り出しに。

さらにもう1点またもや染野選手に決められハットトリックを許します。

残り時間わずかになったところで黒田監督はパワープレーに出て土壇場に小松選手の同点弾が生まれます。

劇的な展開となったこの試合は新キャプテンの飯田選手がPKで4人目をストップし、青森山田が決勝進出を決めます。

流れからのシュートはなかったものの、檀崎選手は献身的なプレーをみせてくれました。

試合終了後、破れた尚志高校10番の伊藤選手と檀崎選手がお互いの健闘を称えあう姿が見られました。

体調不良のためこの試合が初先発となった10番の伊藤選手は素晴らしいタクトの振り方で青森山田のDF陣を大いに苦しめました。

今大会最も印象に残った試合になったことは間違いないでしょう。

準決勝まで粘り強く成長を続けここまできた青森山田でしたが、まだ青森山田らしさのすべては発揮されていない!檀崎選手の活躍なくして優勝はない。必ず決勝戦では檀崎選手が活躍する姿がみたい…と私は思いました。

決勝戦の相手は同じプレミアリーグEASTで戦う流経大柏高校となり、注目のカードは大観衆に見守られキックオフを迎えます。

選手権優勝!

試合は鹿島アントラーズへの加入が内定している超高校級CB関川選手のゴールで幕を開け、またしても青森山田は追いかける試合展開になります。

しかし青森山田の選手たちには全く動じる様子が見られませんでした。

徐々に自分たちのペースをつかみ始め、前半40分佐々木選手の右サイド突破から生まれたゴール直前でのパスに檀崎選手が合わせて同点ゴール!

とうとう流れの中から檀崎選手がゴールネットを揺らしました。

私は「これで青森山田が勝つかも知れない」と思いました。

尚志高校の染野選手や流経大柏の関川選手などエースのゴールは勝ち進むチームの象徴で、青森山田の優勝には檀崎選手の活躍が必要だったからです。

さらに後半18分にはバスケス・バイロン選手が粘り強いドリブルで突破し放ったクロスに檀崎選手が走り込み、2ゴール目で勝ち越します。

この2つのゴールについて「仲間が良いパスを出してくれたので決めるだけでした」と謙虚に語った檀崎選手でしたが、やはり檀崎選手は自身でゴールを決めるべき選手で、キャプテンマークを外して挑んだ選手権でも本人が思っている以上に檀崎選手の活躍は重要だったわけです。

試合は小松選手の3点目で青森山田が2度目の栄冠を手にしました。

優勝の瞬間、ピッチに倒れこんで涙を流したのは勝った青森山田の選手たちでした。

3年間、この仲間がたどってきた喜びや苦しみが全員の脳裏に浮かびあがっていたのでしょうね。
檀崎選手は目を真っ赤にしながら「最高という言葉しか出てこないくらい嬉しかった」と歓喜に浸りました。

得点王には届きませんでしたが、それ以上に価値のある決勝戦での2ゴールをあげてみせた檀崎選手。

当初3冠という目標を掲げていたチームでしたが、優勝一つ掴み取るだけでもどれだけの苦悩を乗り越えなければいけないのか、ユニホームの胸の星の一つ一つの重みが深く心に刻まれたことでしょう。

優勝監督インタビューで檀崎選手の活躍について質問された黒田監督は嬉しそうに「うちの10番がやってくれると信じていました」と話しました。

2つのキャプテンマーク

優勝が決まり、スタジアムを一周する前に、キャプテンの飯田選手がベンチから持ち出したものがあります。

それは大会前こっそり持ってきていた赤いキャプテンマーク…檀崎選手がプレミアリーグで使用していたキャプテンマークでした。

檀崎選手の左腕に巻くと「本当にありがとう」と檀崎選手が飯田選手に感謝。

観客席に両手を突き上げる檀崎選手と飯田選手の写真には並んで赤と黄色のキャプテンマークが巻かれていました。

「自分がキャプテンをやっていたのは実質1か月半。それまでの2年半以上は檀崎がチームを支えてきた。自分が優勝チームのキャプテンになったけど、これまでチームをまとめてきたのも育ててきたのも檀崎なんで」と飯田選手は言いました。

檀崎選手はその言葉をくすぐったい気持ちで聞いたかもしれませんが、飯田選手の言葉は事実ですし胸を張ってほしいと思います。

そして、飯田選手の気遣いと友情に感動…。

高校最後の選手権で檀崎選手が得たものはあまりに大きく、これからのサッカー人生の道しるべとなるでしょうね。

まとめ

  1. 中学時代から注目選手だった檀崎選手は2年時に無冠で最後の一年を迎えます
  2. なかなかプロから声がかからずインターハイも早期敗退。チームはバラバラに
  3. キャプテンを下ろされた檀崎選手は選手権で代えがたい宝物を得てプロの道へ

平成最後の高校サッカー選手権大会決勝戦は、過去最高54,090人の観客数を記録しました。
選手権大会の合計観客数は年々増加していていますが、なぜでしょう。

それはやはり高校サッカーが「スタジアムで見たい」と思わせるようなレベルの高いサッカーになってきたこと、そして応援したいと思わせる熱戦が繰り広げられていることが要因なのではないでしょうか。

高い技術で観客を沸かせるタレント性に併せて、プレーのひとつひとつにドラマを持っていた檀崎選手は観客を引きつける魅力に溢れていたといえるのではないでしょうか。

コンサドーレ札幌でさらなる成長をして、ファンに愛される名プレーヤーになった姿をスタジアムで見られる日を待ち望んでいます!




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