二宮尊徳の像

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「修身」「道徳」違いはなに?みんなのモラルはどちらが上がる?

投稿日:2019年2月9日 更新日:

小学校や中学校で1週間の時間割の中に謎の「道徳」という時間が存在していましたよね。

道徳の教科書といえば、物語の中でクラスに問題が起きたり、友達同士でトラブルが起き、それをどのように解決しますか?などの答えがあるのやらないのやら正直あまり印象にない時間だった気がします。

現代日本ではこの「道徳」によって倫理観や道徳心というものを教えているわけですが、戦前の日本では「修身」という科目があり、現在の道徳の役割をしていたことをご存知でしょうか。

実は近年、この「修身」を復活させるという議論が起こっているのです。

なるほど、現代人に足りない道徳心を、戦前の道徳教育の復活によって蘇らせようという動きなのでしょうか。

しかし戦前の教育といえば、個性のない軍国主義の考え方を叩きこまれるような印象をお持ちの方は多いのではないでしょうか。

本当に「修身」は復活を望むべきものなのか、現代の道徳ではなぜだめなのか、考えてみましょう。

戦後の日本には「道徳の授業」が不足していた

小学校の授業で挙手する子供達
2018年4月からは小学校で道徳が教科として授業が開始されました。

これは最近急に決議されたことではなく、道徳の教科化は戦後「修身」がなくなって以来議論されてきた問題でした。

そもそも私は「道徳」が教科じゃなかったなんて知らなかったのですが、わざわざ教科にするということは、もう他教科に押しやられることがなくなるんですよね。

「道徳」はなぜ教科化されたのか

なぜ道徳を教科化する必要があったのかというと、道徳の時間が他教科に比べて軽んじられているという背景があったようです。

実際、時間割で道徳の時間になると担任の先生によってはテスト勉強の時間になったり、他教科で遅れている分に充てられたり…という経験があるのではないでしょうか。

また、義務教育の教員だけでは指導が不十分で道徳教育の目指す理念が共有されていないという問題点も挙げられました。

「道徳」の時間が形骸化

このように、現代では道徳の時間が形ばかりになってしまっているという状態だったというわけです。

この道徳授業の形骸化は、学校が子供たちに対する教育の責任と役割を果たしていないという問題にあたります。

なぜ道徳教育は形骸化してしまったのか…。それは戦前行われていた「修身」へのアレルギーがあるからと言われています。

「修身」に対して「価値の押し付けである」という考え方があり、道徳も同様に「こうあるべき」と教えることは子供たちからも教師からも敬遠される存在になっていきました。

戦後の「道徳」について

あいさつ運動の看板
「道徳」のほうは皆さん実際に授業を受けたことがあるはずですから、どんな授業内容だったか、多少覚えていると思います。

年代や担任の先生によって授業の進め方も違ったと思いますが、熱心に道徳の授業に力を入れる先生は数少なかったのではないでしょうか…。

「道徳」とは

これまで教科外活動として時間が設けられていた道徳ですが、2018年春から科目化が完全実施され、「道徳科」とすることで検定教科書が導入されています。

  • 善悪の判断、自律、自由と責任など「主として自分自身に関すること」
  • 親切、思いやり、感謝、礼儀など「主として人との関わりに関すること」
  • 規則の尊重、公共の精神、集団生活の充実など「主として集団や社会との関わりに関すること」
  • 生命の尊さ、自然愛護、よりよく生きる喜びなど「主として生命や自然、崇高なものとの関わりに関すること」

小学校から中学校を通じて、上記の身に着けるべき4つの柱に基づく内容項目が学習指導要領で挙げられています。

「道徳」の内容

それでは「道徳」のほうも教科書の内容を覗いてみましょう。

道徳の教科書は読み物で構成されています。教科書の物語を読んで個人やクラスで考えを出し合ったり自分の思いを書き出してみたりする授業スタイルです。

その際使用するのが、道徳の参考書的な役割の「心のノート」です。

「心のノート」には

  • 勇気を出せるわたしになろう
  • 学び合い ささえあい 助け合い
  • みんなのために流すあせはとても美しい

といった目次が並んでいるんです。

「修身」とは悪なのか?

戦前・戦時中の小学校の教室
それでは「修身」とは実際どのような教育だったのでしょうか。

「修身」に対して「こうあるべき」という押し付けだと批判する意見を散見しますが、果たして本当にそうでしょうか。

第二次世界大戦前の小学校での教育といえば、「贅沢は敵だ」「欲しがりません、勝つまでは」に象徴されるような軍国主義の印象を持たれる方も多いかも知れませんが、実はそうではありません。

私も実際調べてみて驚いたのですが「いいこと書いてあるじゃん!」と感心してしまいます。

「修身」とは

「修身」とは「身を修めること」を意味し、第二次世界大戦前の日本の小学校における科目のひとつでした。

明治23年の教育勅語発布から昭和20年の第二位世界大戦敗戦まで使われていて、個人主義や自由主義、物質主義の考えが増える中で不良少年少女を育てないようにという目的の教育でした。

「修身」という言葉の意味は「身を正しくおさめて、立派な行いをするように努めること」です。

「修身」の中身

ここで、一年生が使った修身の教科書の内容をご紹介したいと思います。

  1. ヨク マナビ ヨク アソベ
  2. ジコク ヲ マモレ
  3. ナマケル ナ
  4. トモダチ ハ タスケアへ
  5. ケンクワ ヲ スルナ
  6. ゲンキ ヨク アレ
  7. タベモノ 二 キ ヲ ツケ ヨ
  8. ギヤウギ ヲ ヨク セ ヨ
  9. シマツ ヲ ヨク セ ヨ
  10. モノ ヲ ソマツ ニ アツカフ ナ
  11. オヤ ノ オン
  12. オヤ ヲ タイセツ ニ セ ヨ
  13. オヤ ノ イヒツケ ヲ マモレ

いかがですか。もちろん小学一年生の教科書ですから難しいことが書かれていないのは当然ですが、人として生きていくための最低限のこと、至極当たり前のことが書かれていますよね。

強いて違和感をあげるとすれば「そう言われてもなかなかできないよね」という無茶感があるというところでしょうか。

学年が進んでも極端な軍国主義を押し付けるような内容ではありません。

教えている内容は現代の道徳となんら変わったところはないですよね。

「修身」と「道徳」の違い

現代の小学校の教室
ご紹介したとおり、戦前の「修身」と戦後の「道徳」の教科書の内容は基本的に大きな違いはないんですね。

昔の人だから気難しいルールを押し付けられていたわけではありませんし、現代人だから必要な道徳を教えられていないなんてことはないのです。

ではなぜ、戦前の人々の道徳観と現代人の道徳観は違うのでしょうか。

教える人間の違い

もちろん時代背景もあるでしょうが、教え方に違いがあるとは考えられないでしょうか。

「修身」は武家出身の先生が子供たちに厳しく教えていたでしょうし、教えられる子供たちのほうも師に対して尊敬の念を持って真剣に「修身」を習っていたのではないでしょうか。

それに対して現代の「道徳」は義務教育の教師が週に1時間か2時間、自由な方法で教えていました。

昔の武家の教師と比較すると子供たちも現代の教師に対してあまり聞く耳を持っていないと言いますか…。

つまり、現代の「道徳」の権威が「修身」に比べて落ちていると言えるのではないでしょうか。

近年、外部講師を呼んで道徳の授業を行うことが議論されているのも「教師だけでは太刀打ちできない」という問題の表れでしょう。

「道徳」は抽象的

道徳の授業って結局はっきりした答えが出ていなかった記憶があります。

話し合うテーマに沿ってそれぞれが意見を出してディスカッションするのですが「では、こうすべきです」というような指導がなかったですよね。

話し合ったうえで「どうすればよいのか自分自身で考えてみましょう」という授業でした。

現代の道徳教育は、押し付けを嫌うあまり抽象的です。

抽象的な教え方だと読み手の解釈で悪用されることがあります。

例えば「自分の嫌なことは他人にしない」という指導は抽象的です。

「じゃあ自分の好きなことは他人にしても良い」という自分本位の勝手な解釈が生まれがちなのです。

対して「修身」の内容は細かいようですがそれぞれかなり具体的に教えています。

具体的なものの考え方を教えたり、伝記など具体的な偉人の人生を教える方が子供の心には響くものではないでしょうか。

「修身」の復活は望ましい?

山積みになった古い和綴じの本
「修身」について調べてみると、持っていた印象とは違い「古き良き日本」の教育のように感じられました。

道徳教育に対して「押し付け」や「個性をなくす」といった考え方は必要ないように思えます。

むしろ5教科に代表される「勉強」よりも人として大事なことを学ぶ時間がないがしろにされてきたことは憂うべき問題だと思います。

戦前の人々の嘆き

戦後日本がたどった超資本主義により、世の中が思いやりや責任を欠いた社会になってしまったと戦前生まれの老人たちは嘆きます。

老人たちが現代人へ批判的な気持ちになるのは道徳教育の違いからなのでしょう。

戦前、小学校のことを「尋常小学校」と呼んでいました。この「尋常」とは「常を尋ねる」という意味で、尋常小学校とは人としてあるべき姿、人間形成を目的として作られた小学校という意味合いを持っています。

戦前生まれの老人たちは「修身の授業を受けていない現代人が人情のない無責任な世の中を生み出してしまった」と嘆くのですが、果たして本当にそうなのでしょうか?

「道徳」は単純ではない

戦前の老人たちの言葉をそのまま解釈すると「修身」教育をすれば思いやりのある人間が育ち、資本第一主義の情のない世の中が改善される、ということになりますが…。

いつの世の中も道徳教育と言うものは簡単でもないし単純でもありません。

誠実さや親切の大切さを教えれば子供たちがそのとおり育つわけではありませんよね。

「道徳」を教科化すればいじめがなくなるでしょうか。犯罪を減らせるのでしょうか。

「修身」を学べばよい人間が育つ、「道徳」を教科化しておけば教育改革をしたなどという安直な考え方は、子供たちの未来を本気で考えていない証拠なのではないでしょうか。

授業だけで道徳を叩きこんでおいて、世間は子供に対して知らんぷりでは道徳心を持った人間に育つはずはありませんよね。

まとめ

  1. 戦後、道徳の授業は形骸化していたため2018年より教科化しました
  2. 現在道徳科では身に着けるべき4つの柱に基づく内容項目が学習指導要領で挙げられています。
  3. 戦前の「修身」の内容は軍国主義の押し付けではなく現代の道徳と基本は変わりありません
  4. 「修身」と「道徳」の違いは教師の権威と、指導の仕方が具体的かどうか
  5. 道徳教育とは「修身」でも「道徳」でも単純なものではありません

近年、海外から日本への観光客が増加しているのは「日本は安全な国」ですとか「日本人は礼儀正しい」という日本人特有の美徳によるものではないでしょうか。

「子供が一人で地下鉄に乗っていても安全!」ですとか「落とした財布が返ってきた!」「誰でも親切にしてくれる」など、日本人にとっては当たり前の道徳が外国の方からは驚きのようです。

これは昔ながらの日本人の考え方からくるもので、その基本となるのは「修身」なのではないでしょうか。

外国人からすれば「そんなの無理だよ」と思うような道徳を本気で身に着ける教育をしていた戦前の「修身」はやはり世界でも稀にみる教育の仕方だったのかも知れませんね。

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