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バスケスバイロン選手/いわきFCから世界を目指す!




平成最後の高校サッカー選手権は青森山田高校の2年ぶりの優勝で幕を閉じました。

青森山田高校の強さに唸ったサッカーファンも多かったのではないでしょうか。

そして今大会大ブレークを果たした選手といえば…そう、MFのバスケス・バイロン選手です!

誰もが彼のドリブルに釘付けになったことでしょう。

大会前注目選手ではなかったバスケス・バイロン選手が観客の度肝を抜いた今大会。

彼の注目の進路とは…。

ネットで大反響!

積み木でtwitterの文字
青森山田の初戦となった、2回戦草津東戦からスタメンで出場したバスケス・バイロン選手。

この試合は6-0と青森山田が大勝し、しかも6点すべてが違う選手のゴールという層の厚さを見せつけた試合でした。

この大勝よりも話題になっていたのがサイドアタッカーのバスケス・バイロン選手です。

試合直後「青森山田の11番やばい」「何者?!」とネットは大騒ぎ。

それもそのはず。サッカーファンにとってバスケス・バイロン選手はノーマークの選手だったからです。

最後のツイートが話題に

「彼は一体何者なんだ?」と興味を持ったらまずツイッター検索をしますね。

多くの人がバスケス・バイロン選手のツイッターを検索しますが、彼の最終ツイートは高校進学前の中学3年時で止まっていました。

青森山田高校への入学を決めた春、彼は自身のツイッターで決意表明をしていました。

青森山田で3年間死ぬ気でやって、応援してくれてる人、支えてくれてる人に全国のピッチで恩返しする!全国制覇もする!そして絶対プロになって世界で活躍する選手へとなれるように頑張る!全ては自分次第!不可能はないと思ってるし、自分を信じてる!サッカーを楽しむ!応援宜しくお願いします!

SNS禁止の青森山田サッカー部の門をたたく直前の3月15日、このツイートを最後に彼のツイッターは沈黙することになります。

まさに有言実行!とネットでは話題に。

もちろん実際に青森山田で大活躍し、全国のピッチで活躍できたからこそこのツイートが話題になったわけですが、同じような気持ちで青森山田へ入学する選手はあまたいるのです。

その決意を現実のものにした経緯はどれほど険しいものだったのでしょう。

言葉にするのは簡単ですが、このツイートにどれだけの覚悟が込められていたのか…心から「結果を出せてよかったね!」と涙が出そうになります。

注目されなくて悔しかった…

選手権が始まる前は雑誌やインターネットで注目選手が何人か紹介されます。

サッカーファンはどの高校の何と言う選手がどんなプレーをするのか興味を持って下調べし、注目することが多いですよね。

鹿島内定の流経大柏の関川選手や熊澤選手、桐光学園の西川選手、尚志高校の染野選手、FC東京内定の東福岡中村選手、そして札幌内定の同じく青森山田の10番檀崎選手など…。

その注目選手の中にバスケス・バイロン選手の名はありませんでした。

代表招集経験もなく、プレミアリーグの試合でもゴールランキング首位を独走する檀崎選手の陰に隠れていたことは事実。

コアな高校サッカーファンであれば彼の能力は知っていたと思いますが、世間一般のサッカーファンからすれば彼の登場は「あれは誰だ?!」という衝撃でした。

「注目されなくて悔しかった」とのちにインタビューに答えていたように自分の力を信じて青森山田にやってきた彼にとって選手権の大舞台は人生を変える大チャンスだったといえるでしょう。

有力選手の陰で

みんなでランニング
選手権で一躍大注目選手となったバスケス・バイロン選手ですが、それまではなぜ周知されていなかったのでしょうか。

才能あふれるサッカーエリートだった彼が最後の選手権で花開くまでの道のりは、多くの選手たちが通る困難な道でした。

そこから、埋もれたままで終わるのか地上に芽を出して花を咲かせるか…その違いとは?

エースだった中学時代

中学時代は東松山ぺレーニアという名選手を生んできたクラブに所属。

キャプテンで10番というまさにエースの活躍をみせていたバスケス・バイロン選手。

小学生のときには地元でも「凄い選手がいる」と話題になっていたほどで、実際選手権で活躍する姿を見て「小さい頃対戦した記憶がある」とツイートする人も多くいたほど印象に残る選手でした。

選手権初制覇をスタンドで…

鳴り物入りで青森山田高校へ進学したバスケス・バイロン選手は1年生ながら出場機会を与えられましたが、課題だった守備面の不安が原因でスタメンに定着することはできませんでした。

3年生がほとんどだった優勝メンバーの中に入って同学年の檀崎選手が1年生ながら選手権のピッチでプレーし、優勝する姿をスタンドで見つめました。

甘くない世界だという事は覚悟して来たはずですが、突き付けられた現実は厳しいものでした。

それは、バスケス・バイロン選手だけではなくスタンドで試合を見つめる多くの選手が味わった気持ちなのでしょう。

自分もやってやる!と誓った1年間

2年生になるとバスケス・バイロン選手は登録メンバーからも外れてしまいます。

2年時の選手権もスタンドから応援することに。

その年、選手権で初優勝を飾った前橋育英の榎本樹選手は、中学時代に所属していた東松山ぺレーニアで一緒にプレーした仲間でした。

かつてのチームメイトの活躍を目の当たりにして自分の現状とやはり比較したのではないでしょうか。

あと1年しかないけれど、必ず選手権の舞台で活躍すると誓ったバスケス・バイロン選手。

再び花を咲かせる

エーデルワイスの花
バスケス・バイロン選手は、青森山田に進学した時の気持ちを胸に再び輝きを取り戻す努力を重ねます。

青森山田のMF陣はエースの檀崎選手や次期エースの武田選手など層が厚くレベルも非常に高いので、まずはメンバーに入ることが高い壁なのです。

それでも諦めず腐らず努力できる選手だけが、夢を叶える権利を得るのでしょうね。

苦手の克服

青森山田の黒田監督は、「人が嫌がることを進んでやること」「苦手なことから逃げずにそれを武器にすること」を大事にしています。

チームが苦しい時こそ助けるプレーを。

利き足と反対で蹴るのが苦手な選手には両足で自信を持って蹴る練習を。

黒田監督は苦手を克服することを指導しました。

ここで立ち向かえるか逃げ出してしまうか、それが埋もれる選手と花を咲かせる選手の違いなのではないでしょうか。

そしてかねてからの課題だった守備を鍛えることでバスケス・バイロン選手は自信を取り戻していきます。

非常に攻撃的なプレーをするバスケス・バイロン選手ですが、自身は「攻撃よりも守備から」と語るように献身的な姿勢を持った選手に成長。

3年生になったバスケス・バイロン選手はに埋もれていた才能を徐々に芽吹かせ、スタメンに定着して檀崎選手らと共にプレミアリーグで得点を重ねるようになります。

人生を変えた選手権

迎えた最後の高校サッカー選手権でバスケス・バイロン選手のドリブルは観客を沸かせます。

独特のリズムと評価された緩急のあるドリブルでゴール前まで切り込むと、試合を重ねるごとに観客が沸くのをきっと感じたでしょう。

高校サッカーでは、いえ日本のサッカー選手ではかつて見たこともないほど鮮やかにDFを置き去りにする姿にファンは釘付け。

タレント揃いの青森山田の選手の中でもひときわ輝きを放っていたことは間違いないでしょう。

一年前、チームメイトの活躍をスタンドで悔しく眺めたバスケス・バイロン選手はもういませんでした。

優勝の瞬間

準々決勝の矢板中央戦から毎回先制されて逆転するという緊迫した試合を重ねた青森山田高校。

バスケス・バイロン選手はドリブルで長くボールをキープしながらゴール前へ切り込み、仲間を呼び込み鋭いパスを出し続けます。

自分がヒーローになろうという思いを捨ててチームの勝利のためにひたすらドリブルをする姿に胸を打たれました。

そしてとうとう優勝が決まったホイッスルが響いた瞬間、ピッチに崩れ落ちたのは勝った青森山田の選手たちでした。

バスケス・バイロン選手が顔をくしゃくしゃにしながら号泣している様子をカメラがとらえていました。

どんな思いで最後の選手権に挑んで、どんなことを考えながらプレーしていたのでしょうね。

きっと、挑戦した選手たちにしか見えない景色があったのでしょう。

いわきFCという選択

サッカーボールとガラスの地球儀
優勝する前から、選手権が始まってすぐに誰もがバスケス・バイロン選手の進路に注目しました。

「いわきFC?」と驚いた方も多かったのではないでしょうか。

この選択はチリ国籍の彼ならではの事情もあったようです。

Jリーグを選択できず

これほどの選手がJリーグ入りをしないのには当然理由があります。

彼の国籍はチリなので外国人枠の選手になるため、外国人枠は5人までという登録制限のあるJリーグでは獲ってもらえず。

どのチームも5人しかない外国人枠を使うなら海外での経験値が高い助っ人選手を選択しますから、即戦力ではない高卒ルーキーのバスケス・バイロン選手にとって非常に不利だったのです。

たとえJリーグ入りを果たしたとしてもチーム内で競争するのは海外からやってきた実力のある選手ばかり。

サブにも選んでもらえず実践の経験を積むことができないかも知れません。

そこで、自分の将来のビジョンを見据えて選択したのが「フィジカル革命」で知られるいわきFCだったわけです。

いわきFCとはどんなクラブ?

選手権前からバスケス・バイロン選手の進路に注目していた私は、いわきFCへの入団が決まったというニュースを見て一瞬驚きましたが、

「おもしろいクラブを選んだな。良い選択だね」と感心しました。

いわきFCはJ2でもなければJFLでもない、東北社会人リーグ1部に所属する社会人チーム

福島県いわき市をホームタウンとしていて、サッカー好きの間では注目される存在なんです。

その特徴は何といってもアンダーアーマーと提携してフィジカル強化を行っているような、本気の姿勢です。

いわきFCの選手たちはアマチュア選手でありながら三食の栄養管理や充実したトレーニング施設の利用を受けることができるのです。

目指すのはチリ代表

恵まれたフィジカルトレーニング環境を選んだバスケス・バイロン選手。

屈強なフィジカルを手に入れて海外選手と渡り合えるようにとの考えなのでしょう。

それもそのはず、彼の将来のビジョンは最終的にはヨーロッパでプレーして、チリ代表としてW杯に出場することなのですから。

個人的には、日本に帰化して日本代表で活躍する姿を見たいのですが、本人の気持ちは今のところチリにあるようです。

まとめ

  1. 選手権前は注目されていなかったバスケス・バイロン選手の登場にネットは騒然
  2. 鳴物入りで青森山田に進学したバスケス・バイロン選手ですが2年間スタンドで選手権を見つめることに
  3. 最後の一年間で苦手を克服したバスケス・バイロン選手は選手権で人生を変えてみせました
  4. チリ国籍のためJリーグ入りを断念し、いわきFCから世界を目指します

バスケス・バイロン選手が高校進学前に誓ったツイートは現実のものになりました。

しかし、当時の彼はこれほど苦しい思いをして勝ち取るものだとは思っていなかったでしょう。

青森山田高校サッカー部での人間的成長と仲間との出会いによって、一躍注目の選手になりました。

バスケス・バイロン選手について黒田監督は、メンタルをコントロールする部分がまだまだ子供だと心配する一方、「いわきFCですぐにでも試合に出てJリーグクラブから声が掛かるように頑張れ」と教え子にエールを送っています。

いわきFCからW杯に出場する選手が出るという夢のある話をバスケス・バイロン選手が叶えてくれるかも知れません。

あの懐の深いボールキープと躍動感のあるドリブルを世界の舞台で見ることを楽しみに、これからも注目していきましょう。




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