フィギュアスケート選手、フィギュアスケーターといえば?
この問いには様々な答えが返ってくるでしょう。
しかし、中でも浅田真央さんと答える人は多いのではないでしょうか。
浅田真央さんは世界中で愛されているスケーターです。
今回はその浅田真央さんの凄さについてまとめました。
浅田真央の凄さ「戦績」
まずは真央さんの経歴と戦績を紹介します。
- 1990年9月25日 愛知県名古屋市で産まれる
- 1995年 フィギュアスケートを始め、名東フィギュアスケートクラブに入会。
- 2000年 グランプリ東海クラブに所属を移す。(あの宇野昌磨選手を指導している山田満知子コーチのクラブですね。)
- 2006年 シニアへ
- 2007年 ロシアに拠点を移す
- 2010年 佐藤信夫コーチに師事
- 2017年4月10日 現役を引退。
- 2004年 ジュニアグランプリファイナル金メダル
- 2005年 世界ジュニア選手権、グランプリファイナルともに金メダル
- 2006年 世界ジュニア選手権、グランプリファイナルともに銀メダル
- 2007年 世界選手権、グランプリファイナルともに銀メダル
- 2008年 四大陸選手権、世界選手権、グランプリファイナル全て金メダル
- 2009年 四大陸選手権、世界国別対抗戦ともに銅メダル
- 2010年 四大陸選手権、世界選手権ともに金メダル、バンクーバーオリンピック銀メダル
- 2011年 四大陸選手権銀メダル
- 2012年 四大陸選手権銀メダル、グランプリファイナル金メダル
- 2013年 四大陸選手権、グランプリファイナル金メダル、世界選手権、世界国別対抗戦銅メダル
- 2014年 ソチオリンピック6位、世界選手権金メダル
12個も金メダルを獲得しているのですね!素晴らしいです!
浅田真央の凄さ「○歳でトリプルアクセル成功」
「トリプルアクセル」・・・女子選手にとっては大技です。
(今は4回転を成功させたという女子選手もいますが・・・)
スケート連盟が公認した女子のトリプルアクセル成功者はまだ世界で9人しかいません。
その顔触れは・・・
- 伊藤みどりさん
- トーニャ・ハンディングさん(アメリカ)
- 中野友加里さん
- リュドミラ・ネリディナさん(ロシア)
- 浅田真央さん
- エリザベータ・トゥクタミシェワ選手(ロシア)
- 紀平梨花選手
- 長洲未来選手(アメリカ)
- アリサ・リウ選手(アメリカ)
真央さんは、2005年の世界ジュニア選手権で認定されています。
14歳の時ですね。
しかし、これはスケート連盟に認定されたときの年齢です。
実は、真央さんは12歳の時に練習ですでにトリプルアクセルを成功させていたのです。
当時は天才少女として話題になりましたよね。
浅田真央の凄さ「ソチオリンピックのフリースケーティング」
これは有名ですよね。
真央さんはショートプログラムでトリプルアクセル転倒。
コンビネーションジャンプにも失敗し、16位と出遅れてしまいました。
失意の中、姉の舞さんと佐藤信夫コーチの励ましを受け、フリーに臨みました。
演技前、佐藤コーチはこう告げました。
「さあ、自信を持って思い残すことのないように滑ってきてください。」
真央さんは「行ってきます」と静かに答え、リンク中央に向かいました。
このとき金メダルを獲得した羽生結弦選手も観客席で応援していました。
そして・・・
真央さんは、トリプルアクセルはもちろんのこと、他の種類のトリプルジャンプも成功させ、計8回トリプルジャンプを成功させました。
これは女子では誰も成し遂げたことのないプログラムでした。
演技終了直後、真央さんは泣いていました。
しかし、リンクの中央で観客に挨拶する時は、いつもの笑顔に戻りました。
最終順位は6位に終わったものの、世界中に感動を与えたフリースケーティングでした。
ネットでも、好きなフィギュアスケートのプログラムは真央さんのソチオリンピックのフリーという声が多く見られます。
浅田真央の凄さ「ある人の運命を変える」
真央さんはスケーティングの他にも凄いところがあります。
実は、ある人の運命を変えたのです。
その人とは・・・?
現在、男子シングルで活躍中の宇野昌磨選手です。
有名な話かもしれませんが、宇野選手も愛知県名古屋市が地元で、スケートを始めたきっかけは、宇野選手が5歳の時にスケートリンクに遊びに行ったら、そこで当時中学生だった真央さんに声をかけられたということです。
そのときの真央さんの言葉がこちら。
「かわいい!スケートやりなよ!」
真央さんには、宇野選手が将来凄い選手になることがすでに見えていたのかもしれませんね。
それから浅田姉妹、宇野兄弟の4人でよくリンクで遊ぶようになり、宇野選手は楽しかったからフィギュアスケートを習ってみよう、とスケート連盟に登録し、グランプリ東海クラブに入会しました。
そして、今では羽生結弦選手に次ぐ日本男子のトップ選手となり、平昌オリンピックで銀メダルを獲得しました。
ちなみに、宇野選手の弟である宇野樹(いつき)さんは、フィギュアスケートではなくアイスホッケーを始めました。
さらに最近はモデルをやったり、宇野選手について弟目線で本を書いたり・・・と活躍しています。
また、樹さんは英語が堪能なため、宇野選手が外国人からインタビューを受けるときに通訳もしています。
兄弟そろって凄いですね。
そして、真央さんの直感も凄いですね・・・。
まとめ
北海道札幌市在住の私は、2018年7月22日に月寒体育館で行われた真央さんのサンクスツアーを見に行きました。
チケットは抽選で落選しました。
競争率が高かったのですね。
諦めきれない私はチケット流通センターでチケットを買いました。
当日の観客席は満席でした。
それだけ真央さんが素晴らしくて、多くの人に愛されているということがわかりました。
実は、このサンクスツアーの3日前、ソチオリンピック銅メダリスト、カザフスタンのフィギュアスケート選手のデニス・テンさんが強盗に刃物で刺されて亡くなるという信じられない事件が起こりました。
テンさんの訃報を聞いた真央さんはとても悲しんでいました。
さらにサンクスツアーを控えていて、とても複雑な心境だったのではないかと思います。
しかし、サンクスツアー当日は、何事もなかったかのように笑顔で観客を魅了させていました。
これもまた真央さんの凄いところですね。
この記事を書いていて、またあのソチオリンピックのフリースケーティングが見たくなったので、後でYoutubeで見ようと思います。