結婚まえを思い出してみましょう。恋人としておつきあいしている時には、もっとずっと一緒にいたいと思ったり楽しいと感じる事も多かったはず。
しかし、いざ結婚して一緒に暮らしはじめると…良くも悪くもお互いの化けの皮がはがれますね(笑)
ほんのささいなことでケンカしたり、意外な面が分かったりして…「結婚して幸せ♪」になるイメージだったのに、「こんなことになるなんて…」と思っている人が、たくさんいるのではないでしょうか。
実際に結婚するのはおめでたいことですし、お互いに結婚して当初は幸せでいっぱいだったはず。
しかし、結婚は、幸せのゴールではありません。忍耐のはじまりとも言われます。スピリチュアル的には、結婚は「修行」なのです。
「修行」というと、きつーいイメージしかないかもしれません。ですが、その修行をこなすからこそ、あなたの魂はさらに磨かれ、人格的につよく・魅力的になっていき…
…あなたのまわりに、人やお金が勝手に舞い込んでくる「幸せ体質」に。結婚は、その道すじのひとつなんですね。
なぜ結婚が「修行」と言われるのか?スピリチュアル的な意味を2つご紹介します。
「結婚は修行」=魂を成長させるためのカリキュラム
結婚は価値観や血のつながらない、まったく生い立ちの違う人間どうしが、同じ屋根の下でいっしょに暮らしていくわけですから…ケンカすることや、意見が合わなくて衝突してしまうことは避けられません。
ときには、我慢をしなければならなかったり、また、子どもが生まれたら、自分たちの事よりも子どもの事を優先しなければならないですよね。
お互いの忍耐や努力なしでは、結婚生活は、すぐ破綻し離婚につながってしまいます。
結婚=幸せのゴール?いいえ、現実には、結婚=忍耐のはじまり。
スピリチュアル的に言うと、私たちは、魂を磨く修行をするためにこの世に生まれて来ています。様々な苦悩を乗り越えた時、人は成長できますし、魂も磨かれるのです。
結婚は、魂を磨き成長させられる絶好の機会。
結婚を通して魂を磨き、学びや成長するのに与えられる課題は、人それぞれで違います。
なかには、過去世でのご縁が今世にも影響している場合もあるんです。過去世からのつながりで結婚しているかもしれません。
自分の行った行為は、良くも悪くも時空を超えて自分に戻ってくる。「やられたことはやり返す」というマイナスな循環を断ち切って、お互いを思いやることを学ぶために結婚していることがあるのです。
「結婚は修行」=人類の大きな愛に近づくファーストステップ
これから結婚したいなぁと思う人にとって”結婚”って、どのようなイメージを持ちますか?
もしかすると、それは、心地よいものでうっとりとした気持ちを連想させるものかもしれません。
すでに上の項で結婚=忍耐のはじまりと書きましたが、結婚することは、もちろん決して辛くて苦しいことだけではありません。楽しいこと、嬉しいこと、感動することだっていっぱいあります。
結婚して共に生活していくうちに夫婦間で愛情が深まったり、また、子どもが生まれたら子どもへの愛情も育まれていきます。そうやって家族はひとつの大きな絆で結ばれるのです。
スピリチュアル的に「人はみな肉体は別々ですが、大きな枠組みでとらえると魂は皆ひとつ」という考え方があります。これは、他人を肉親のように思いましょうという事です。とは言え、なかなか簡単なことではありません。
それを徐々にできるようにしていくには、家族を作ることがきっかけにもなるのです。人によっては、家族を作る以外の事でその役割を与えられることがあります。そのようになっていくには、やはり忍耐や努力は必要です。
お互いの違いを認め合い時間をかけて少しづつ家族の絆を深めていくのです。それが、究極の話、「大きな枠組みでとらえると魂は皆ひとつ」と言う考え方に近づいていくのです。
まだ結婚していない人にとっては、スピリチュアル的な意味で結婚のことを考えると苦行だと思ってしまうかもしれません。
しかし、私たちの魂は、成長するため、学ぶためにこの世に生まれてきているのです。学び成長するために、どのような課題が与えられるのかは、人それぞれで違います。
もしも「結婚したけれど、こんなはずじゃなかった」と思う瞬間があったら、どうか今回の記事を思い出してくださいね。
また、これから結婚する予定の人、結婚願望があって婚活中の人にも、頭の片隅に少しでもこの考え方を入れておけば、何か困難に直面した時、できる限り乗り越えようと思えるかもしれません。
「結婚は修行」まとめ
- 人は魂の修行のために生きていて、結婚はその修行に適している。結婚→幸せ、ではなく、結婚→修行(忍耐・学び・魂の成長)→ほんとうの幸せ
- 結婚をとおして家族を築くことで、ほんとうの愛を学べる
結婚には、私たちの魂を成長させるような課題が組み込まれています。何を経験し学び成長するかは人それぞれで違います。
それを経験することで、究極の話、人類への大きな愛「大きな枠組みでとらえると魂は皆ひとつ」の考え方に近づいていくのです。