「世界と比較して、日本のこどもたちの学力が、どんどん下がっている…!」
全国統一テストなどが行われる度に話題に挙がる、この問題。
その本当の原因はどこにあるのでしょうか?
今回はその原因について見ていきます。
学力の低下の原因となるもの
ゆとり教育
学力低下の原因として最もよく挙げられるのが1980年代から推進されたゆとり教育です。
ゆとり教育は週5日制と導入し、学校で習う範囲を減らして、代わりに自らが学んで考える時間として、総合的な学習の時間を入れることになりました。
勉強する時間と範囲が減ることは明らかに学力に影響するものですので、一番の理由とされています。
スマホやゲームなどの娯楽
現代日本においては小学生からスマホを持つことが当たり前の時代になり、そのスマホでネットサーフィンをしたり、SNSを利用したりすることが容易にできるようになりました。
また、ゲームや漫画も昔よりは充実していて、娯楽の選択肢はとても広がっています。
ただ、勉強の妨げになるのは明らか。
娯楽そのものに時間を取るのもそうですが、スマホで課金をしたり、ゲームを買うたったりするためにアルバイトをしていると、その分の時間も取られてしまいます。
便利なものが増えた
スマホの利用は娯楽だけではなく、調べものをするという点でも使われるものです。
しかし、その調べものもスマホで探せばすぐに答えが見つかってしまうもので、考える時間を作らないという点もあります。
計算問題に関しても電卓機能があれば、桁数の多い計算もわざわざ文字で書いて解く必要はありません。
そのような便利なものが考える機会を減らし、学力の低下に繋がっているとも考えられます。
家庭の経済状況の悪化
ゆとり教育が始まっても空いた時間に学習塾や教材を買って自主的に勉強をさせる時間を作ることは可能なものです。
しかし、そのような場所に行かせることや教材を買うためのお金が必要になる時、それを払っていく余裕がない家庭もあります。
そんな経済状況の悪化も学力の低下に繋がってしまいます。
教育現場の変化
最近では教師の問題が度々話題に挙がりますが、その教師についても学ばせる側としての質が変わってきていると言える部分があります。
ただ、教師の質が変わってしまうことは必ずしも子どもたちの学習状況に比例してというわけではなく、現在の教育現場の勤務管理や待遇が問題になっている部分もあります。
これらの中で現状の学力の低下原因となっているのは、スマホを中心としてものと考えることができます。
ゆとり教育については取り止めをして、勉強を重視する流れができています。
それよりは高校生以上が持っていたスマホがさらに低い学年から持つことが当然になって、調べるにしても遊ぶにしても身近で手軽なものとして勉学の妨げになっていると見ても良いところです。
学力の低下は悪なのか?
学力の低下の原因について見ていきましたが、メディアではほとんどの場合、それが悪い事のように報道されています。
「世界でも上位だった日本の学力が中位に下がってしまった」「学力の低下した日本の未来は暗い」などと言われることが多いですが、果たして学力の低下=悪なのでしょうか。
先ほどの原因を見ていきましょう。
ゆとり教育を勧めた世代はその時に学習していた人達ではなく、それより前の世代の人達です。
その人達が、詰め込み過ぎだと思ってゆとり教育を推し進めたのにも関わらず、学力の低下が見られた途端に、ゆとり教育が悪いと言うようになりました。
家庭の経済状況の悪化や現在の教育現場も前の世代からの積み重ねによってできたものです。
それらは現代の学力の低下を嘆く世代が作ったものとも言えます。
つまりは学力が高かったとされる世代が考えて行ったことが必ずしも良い結果になっているとは限らないということです。
学力が高いこと=優秀な人間ばかりになるというわけではない。
もちろん、昨今までの経済や技術の発展などは学力が高い人達によって支えられてきたこともあり、学力が高いこと自体は悪い事ではありません。
しかし、実際に社会に出て使う技術は学力以外の素質を問われることは多々あります。
学力はあくまでその人を見るための物差しとして使われるものなので、本当の素質は別のものでないと測れないということです。
それでも社会や世界で比べたり、選んだりするためには、学力という物差しが必要になってしまいます。
特に世界と比べる際にはこの数値が高いことが、優れた国であることをアピールできることに繋がります。
ただ、学力が低いことが、他の素質を全て否定する材料になるのは少し違うので、学習が低いことが悪であると決めつけることはあまり良くないことです。
まとめ
今回は学力の低下についてまとめていきました。
上の世代からすれば「私たちのようにならないために」といっていろんな政策を行ってくれてはいますが、後の世代には「どうしてそんなことをしたの?」と思われるのが常であったりします。
結局、いろいろ言われながらも日本は進み続けているので、このまま論争を繰り返しながら進んでいくしかないのかもしれません。