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こねたのもり

青森山田の武田選手の出身は?夢を叶えるため過酷な試練に挑戦

青森山田高校の優勝で幕を閉じた第97回高校サッカー選手権。

この優勝メンバーの中に一人だけ、この優勝から苦難の道へ一歩を踏み出す選手がいます。

7番のMF武田英寿選手です。

新チームで武田選手はキャプテンを任されることになりました。

現在高校選抜合宿中でチームに合流できていませんがおそらく10番を背負うでしょう。

2年生ながら優勝を期待されたチームのスタメンとして出場した武田選手には、この優勝を区切りに始まるいばらの道が見えているはずです。

全国屈指の強豪校である青森山田で想像もつかないような努力と成長を続ける選手のお話です。

選手権での経験


青森山田サッカー部において7番はダブルエースナンバーです。

95回大会優勝時のエース高橋選手が、2年時に7番を付けて10番の神谷選手とダブルエースを担った翌年に10番を背負って以来伝統のようになっているのです。

96回大会で10番を背負った郷家選手も、97回大会で10番をつけた檀崎選手も2年時に7番を背負っていました。

そして97回大会で7番を背負っていたのが武田選手です。

青森山田の7番は上級生の10番と同じくらい華のある番号というわけです。

当然、武田選手が次のエースとして注目される大会となりました。

インパクトを残せず

武田選手は、青森山田の初戦となる2回戦草津東戦からスタメンでピッチに立ちます。

司令塔としてパスを供給し、さらに右クロスに合わせて1ゴールを決め、「さすが青森山田の7番」という印象を与えてくれました。

武田選手は10番の檀崎選手同様、青森山田中で全中制覇を経験した年代屈指のシャドープレイヤー。

「自分も」という気持ちは強かったはずです。

しかしこの試合青森山田は6-0の大勝。しかも得点者が全員違ったため、そのなかの1得点として埋もれてしまい、大きなインパクトを残すことはできなかったように思います。

3回戦の大津高校戦では精度の高い左足のFKで先制点をアシスト。

2年生とは思えない堂々たるプレーで決して悪い働きではありませんでしたが、つづく準々決勝の矢板中央戦でもチームは勝利しましたが武田選手は7番としては物足りない消極的なプレーに終始してしまいました。

成長を見せた試合

しかし矢板中央戦のあと次の試合までは日程的に1週間のインターバルがあり、そこで武田選手はさすがの切り替えをみせてくれました。

いよいよ埼玉スタジアムに乗り込んだ準決勝の尚志高校戦では、狭い局面で足元の技術を見せチャンスメークし、ミドルシュートでゴールを狙う場面も。

この尚志戦では積極的にボールにかかわり、ゴールを果敢に狙う姿勢が見え、7番として点を取りたい!という気持ちが強く感じられました。

さらに流経大柏との決勝戦では得意の左足でのFKでチャンスメークもし、抜群の技術でワンタッチでボールを捌き、縦に速い攻撃のリズムをつくりだしていました。

準決勝と決勝は普段の武田選手の能力を発揮できていたと思いますし、準決勝の前にしっかり気持ちを切り替えてくるあたりはさすがとしか言いようがありません。

青森山田は毎年Jリーグ内定選手を擁して選手権に出場してくるので注目されますが、このチームの強さはタレントの力だけではありません。

特にこの優勝メンバーの強さを語るうえで欠かせないのが左SBの豊島選手、チームの心臓ボランチの天笠選手、チリ出身のドリブラーMFバスケス・バイロン選手、そして武田選手のレフティーカルテットでした。

力を発揮できなかった準々決勝について「2年生だから」と甘えず修正してきたのはやはり青森山田の7番というプライドでしょう。

チームは優勝したが…

選手権は青森山田高校の優勝で幕を閉じ、翌日から選手たちはテレビ出演や優勝報告会などに引っ張りだこ。

晴れやかでやりきった表情の3年生たちに交じって武田選手の表情は違うものでした。

なぜなら、武田選手にとってここからが本当の苦難の始まりだからです。

選手権を振り返って「チームは優勝できたが、個人としては納得していない」とコメントしたのはやはり選手権優勝メンバーとしての喜びより来季への危機感が勝っていたからでしょう。

夢をかなえる挑戦


武田選手は仙台市出身で、地元ベガルタ仙台ジュニアでプレーしていたサッカー少年でした。

青森山田高校での活躍を夢見て青森山田中に入学する選手は、高校から入学してくる選手同様に全国から集まってきます。

武田選手もその中の一人でした。

願いのこもった名前

「武田英寿」という名前を見たとき、サッカーファンなら「theサッカー選手な名前だなあ」と思うでしょうね。

初代Jリーガーの武田修宏選手とイタリアで活躍した中田英寿選手の合わせ技のような印象で、サッカー選手以外考えられないような名前ですよね。

サッカー好きの父・修一さんがつけた名前はやはり中田選手にちなんだものだそう。

武田選手の愛称は「ヒデ」。7番をもらったときお父さんは喜ばれたでしょうね!

ちなみに手本にしているのは同じレフティでセカンドトップタイプのアルゼンチン代表パウロ・ディバラ選手なのだそう。

県外から青森山田へ

小さい頃からお父さんの影響でサッカー少年に育った武田選手は、出身地の仙台から青森山田中学への進学を選択します。

青森山田高校サッカー部には全国から夢を持った選手たちが集まってきます。

140人を超える部員数のうえ、全国屈指の強豪校ですから入部したところで思い描いたような活躍ができるとは限らない厳しい世界です。

その中で青森山田中10番キャプテンを任され、しかも全中優勝を成し遂げた武田選手はまさに「一握りの選手」といえるでしょう。

その一握りの選手になり、さらに青森山田高校でも活躍するには、どれだけの意思と努力が必要なのでしょうね。

青森山田キャプテンマークの重圧


青森山田のキャプテンといえば、私の印象に一番残っているのは柴崎岳選手とダブルボランチを組んでチームを準優勝に導いた椎名キャプテンでしょうか。

もう一人は黒田監督に「青森山田史上最高のキャプテン」と言われた94回大会での6番DMF北條キャプテンで、彼はチームの精神的支柱でした。

95回大会で圧倒的なキャプテンシーを持った住永キャプテンも6番DMF。96回大会の小山内キャプテンは4番をつけたCBでした。

ですから青森山田ではエースとキャプテンは別でそれぞれの役割を与えらえていると私は思っていました。

キャプテン交代劇も

97回大会決勝戦後、ピッチを周回する選手の中にキャプテンマークを巻いた選手が2人いたのをご存知でしょうか。

1人は選手権でキャプテンとして見事な活躍をみせたGK飯田選手。そしてもう一人はエースの檀崎選手です。

実は選手権直前までキャプテンは檀崎選手でした。

しかし高円宮杯優勝を逃したあたりからチームの状態が下降しはじめたため、選手権に向けて一度チームを解体して仕切り直しをはかったのです。

優勝が決まったあと、檀崎選手の苦悩を痛いほど知っていた飯田選手が最後のピッチ上で檀崎選手にキャプテンマークを巻いたというエピソードがあります。

エースで主将とはどれほど大変なのか

エースの檀崎選手がキャプテンをつとめるのがどれだけ大変だったのか、メンバーとして一緒に過ごしてきた武田選手はいやというほど理解しているはずです。

私も檀崎選手がキャプテンと聞いたときはあまりにも意外で驚きました。

そして「大丈夫かな…」と心配しました。

結果的に、選手権を前に重圧のかかり過ぎた檀崎選手をキャプテンからはずしたわけですし。

それでも新チームのキャプテンにエースの武田選手を指名したということは、武田選手にしっかりとした覚悟が備わっているからと考えられます。

檀崎選手のようにゴールを量産することでチームを引っ張ると同時に住永選手のようにキャプテンシーを発揮する…並大抵のことではないでしょう。

勝負の一年に


武田選手がいかに能力の高い選手でもやはり高校生。

様々な葛藤が待ち受けていると思うと私は心配なのですが…。

選手権優勝後の新チームの難しさ

青森山田サッカー部は95回大会と97回大会で全国制覇を成し遂げていますが、96回大会では現ヴィッセル神戸で活躍する郷家選手や年代屈指のストライカー中村駿太選手を擁しながら3回戦で敗退。

選手権優勝の翌年、チームを成熟させるのは至難の業だとわかります。

優勝チームと比較されて「弱い」という声が耳に入ってくることもあるでしょう。

また、優勝後の様々なスケジュールも重なり新チームの始動が遅れてしまうことも要因かも知れません。

それでも武田選手はそれらを踏まえて目標を「3冠、選手権連覇」に設定しています。

これから待ち受ける困難がどんなものなのか、知っているからこそ挑むのではないでしょうか。

弱いからこそ

新チームでスタメンとして選手権優勝を経験したのは武田選手だけです。

「先輩たちは個々の能力が高かったけれど、自分たちの代は低いと言われている」とコメントしているように、3年生が抜けたあとの苦労も覚悟しているはずです。

だからこそチームを一つにする強みもあるとも話す武田選手。

95回大会の選手権で優勝した世代も全中制覇を逃し「谷間の世代」と呼ばれた悔しさから団結力を高め這い上がってきました。

96回大会で優勝した前橋育英高校も「学校史上最弱」と言われたチームが準優勝、翌年悔しさをバネに栄光をつかみとりました。

決して個の力に頼らない組織力が青森山田の強みなのですから、自分たちらしいチームワークを構築してもらいたいですね。

個人としても注目される一年に

新チームをけん引していく決意を胸に走り出した武田選手ですが、一方で個人として注目されることもわかっているはずです。

プロを目指す選手にとってここからの一年間はいわば就活期間です。

結果にこだわってチームの大黒柱にならなければいけないことを先輩たちから教わっていると思います。

チーム最優先なのでしょうが、檀崎選手がそうだったようにプロになることにこだわることがチームへの貢献にもつながることなのです。

まとめ

  1. 高校サッカー選手権で7番を背負った武田選手は、インパクトは残せなかったもののさすがのプライドをみせてくれました
  2. 仙台出身の武田選手は夢を叶えるため青森山田中学へ入学し結果を残します
  3. エースでキャプテンをつとめることはどれほど困難なのか
  4. 優勝後の新チームを率いることはとても困難ですが武田選手は覚悟をもって挑みます

武田選手がキャプテンをつとめる新チームは正直周囲からの評価は厳しいのが現状です。

しかし私はやはりこの新チームにも大きな期待を寄せています。
なぜなら選手たちは成長しますから!

黒田監督は「高校サッカーはあくまで教育の一環」と話すように、ただ勝つことだけを目標にするのではなくその先の人生を見据えて人間的成長を目指しています。

全国の新チームそれぞれの挑戦は始まったばかりです。どんな成長を、どんなドラマを私たちに見せてくれるのかまた1年間わくわくします。

青森山田の新キャプテン、武田選手が10番を背負って躍動する姿を楽しみにしています!

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