「ニコイチ」という言葉で何を思い浮かべますか?
私は数年前に友達同士やカップルで流行った「お揃い」の意味が真っ先に頭に浮かびました。
これは漢字で書くと「二娘一」で、仲良しを強調する言葉でしたね。
そういえば、他の車から取り外した複数のナンバープレートをつなぎ合わせた偽造プレートを指す「ニコイチナンバー」それを取り付けた「ニコイチ車輛」なんていう社会問題もありました。
「二つのものを組み合わせて一つのものを作る」という意味で、車やバイクにおいて、二台の故障車から一台を作り直すときなどにも使う言葉で、いわゆる「二個一」。
実はもうひとつ、昔から使われていた「ニコイチ」という言葉があるのをご存知でしょうか。
「二戸一」といって、不動産関係で使われる言葉です。
「二戸の住宅が一つの建物になっている」状態やその建物のことを指します。
ところがこの「ニコイチ」とは昔から差別的な意味を持つ用語の一つなのです。
差別と無縁の生活をしている人にとってはなじみのない言葉ですが、なぜ「ニコイチ」が差別用語なのか、探ってみました。
ニコイチ改良住宅とはどんな建物なのか
二戸の住宅が一つの建物になっている状態が差別を受けるというのは、すぐには理解できませんよね。
差別をうける対象は「改良住宅」に住む人々です。
この改良住宅の特徴が二戸一なので、そこに住む人々や部落が「ニコイチ」と呼ばれるわけです。
まずはこの改良住宅について調べてみました。
改良住宅とは
「改良住宅」という言葉は行政用語。
改良住宅は、北海道防寒住宅建設等促進法、公共建築物耐震策推進計画、不良住宅地区改良法~住宅地区改良法により建設された住宅を指します。
公的賃貸住宅のひとつで、建設の目的は防寒、耐震、スラムクリアランス、同和対策事業などです。
建設目的の中で「ニコイチ」と揶揄される対象となるのは「スラムクリアランス」と「同和対策」です。
同じ改良住宅でも防寒を目的とした北海道防寒住宅の改良住宅や、耐震が目的の「改良住宅」は「ニコイチ」という差別用語では呼ばれません。
改良住宅が建設された理由
防寒対策や耐震対策以外で「改良住宅」はなぜ建設されたのでしょうか?
改良住宅とは、細い路地にバラックなどの老朽住宅が密集しているなどして地震や火事のような災害の際に多くの被害が予想される状態の地区に対して、国土交通大臣が「改良地区」と指定をしたことにより建設されました。
住宅地区改良事業として、老朽住宅を取り除いて当該地区を整備したのです。
いわゆる、それまで部落に建っていたいわゆる「不良住宅」を行政が買い上げ、新しい形に改良して建てた住宅のことで、同時に行政主導で街づくりを進めようとしたのです。
元々低所得者が住んでいた部落に立てた改良住宅には低所得者が入居したわけです。
「改良住宅」という言葉だけをきくと良いイメージが浮かびますが、「改良住宅には低所得者が住んでいる」という偏見に結び付き「ニコイチ」と呼ばれるわけですね。
近寄りがたく、独特の雰囲気
改良住宅には二戸一と呼ばれる所以となった、一つの建物に玄関が二つ存在するの長屋のような雰囲気の一戸建てタイプもあれば、高度成長期の団地を思わせるような高層式もあるようです。
どちらも同じ形の無機質なコンクリートの塊のような独特の雰囲気を持っていて、およそ「家」というあたたかな場所とは言い難い建物です。
しかも一定の土地を囲むように建てられた共同住宅で、外界との接触を避けているような印象を持たれるのではないでしょうか。
改良住宅とは名ばかりのスラム街の雰囲気が、「近寄ってはいけない」という差別の原因のひとつになっているかも知れません。
差別の歴史
現代の日本において差別という非現代的な行為があること自体驚きですが、「ニコイチ」に対する差別とはどのようなものなのでしょうか。
「和をもって尊し」という言葉を持つ日本にとって、タブーとされている古くからある部落差別が根底にあるようですが、どうやら本格的にタブーらしく、調べてみてもお茶を濁したような説明ばかり。
しかし、差別が存在することは事実なのです。
日本に身分制度があった?
昔の日本では身分が低いとされる人々よりさらに低い身分をつくることで、不満因子を解消させていました。
明治政府は、明治維新後の改革の一つとして身分制度を廃して賤民を平民に編入しましたが、他の身分の人々が元賤民と同等にされることを嫌って「新平民」と呼び、差別が始まったのです。
戦後の日本国憲法における基本的人権の尊重の概念によって社会階級制度がなくなったにもかかわらず、この差別問題には多くの課題が残されたままです。
「部落」とは
長い身分制度の歴史の中では最も身分の低い人々を一カ所にまとめて住まわせていて、それが部落の誕生です。
部落という言葉からはとてつもない田舎を想像するかも知れませんが、実は部落差別が今も強く残っているのは京都や滋賀といった昔の都なんです。
「部落」という言葉は本来「集落」を意味します。
ところが、歴史的にエタ村と呼ばれる賤民の集落や地域を、あろうことか行政が「被差別部落民」と呼んだことから、特に西日本では被差別部落を略した呼び名として「部落」が定着したという経緯があります。
「同和」という差別用語
ニコイチと同様の差別用語に「同和」という言葉があります。
「同和」とは「同胞融和」の略語で、戦前は「融和運動」から「融和」と略されていましたが、戦後は「同和」と略されるようになりました。
融和運動とは、明治から第二次世界大戦中にかけて、日本の被差別部落の地位向上、環境改善のための運動です。
一般人と部落民との結婚を「同和結婚」、部落解放促進のための教育を「同和教育」、部落の環境改善のための事業を「同和対策事業」と呼び、その指定地域を「同和地区」と呼ぶのです。
「同和」が差別用語として使われるのはこの「同和地区」に住んでいる人々を指して呼んでいるからでしょう。
「ニコイチ住宅に住んでいるから」「同和地区に住んでいるから」差別するという短絡的な差別に使われている言葉だというわけです。
もともと同和と言う言葉は、人々が和合することを意味していますが、この同和運動の「同和」という言葉が逆に差別用語として使われるなんて、この運動がいかに効力を発揮していないのかがわかりますね。
なぜ現代も「ニコイチ」は差別されるのか
部落差別の歴史について触れましたが、いまだにこの部落差別は存在しているようです。
信じられないかも知れませんが、就職や結婚も自分の意思ではどうにもならず、結果的に部落特有の仕事をしたり、部落内で結婚するしか選択肢がないというのです。
そんなの、本当に近代国家なのでしょうか?
交流を断たれる
ニコイチが差別されるのはお互いのことをよく知らないという要因もあるかも知れません。
何しろ近隣住民は「あの地区は危険」という認識で小さい頃から育つそうなので、たとえ学校で一緒のクラスになってもニコイチ住民はいじめの対象になったりと仲間として受け入れられないのです。
もちろん、そのような極端な差別をしている地域ばかりではないようなので救われますが、逆に言うとそんな極端な差別をしている地域もあるということなのです。
社会に出て恋人ができ、結婚したいと思っても出身部落で相手の親に大反対されるという、およそ現代とは思えないような事例も。
これでは外に出ていこうという気持ちも失せてしまいます。
同和・部落出身者のリストが存在する
差別をなくそうとしている世の中のはずが、驚くべきことに同和・部落出身者を調べ上げるリストがあるというのです!
銀行や保険会社、大企業などはそのリストに載っている人物に対して営業を控えるなどの差別が今も残っているとか。
さきほどの話に出てきたように、結婚相手についても調査されて大反対をうけたり、果ては破談などということもあるようです。
同和問題とは
昔からの日本にあった身分制度による差別のせいで、国民の一部の人々が長い間、経済的・社会的・文化的に低位の状態を強いられ、就職や結婚さえ自由にできないという社会問題を「同和問題」と呼びます。
一番気になるのは、今なお昔の差別がそのまま変わっていないという点です。
正直、私も子供を持つ身としてスラム街のような場所で暮らしていて学力も低く定職についていないような住民には近づきたくないと思います。
しかし社会全体がその考えのままでは、先祖代々そのような立場に置かれた人々はいつまでたってもそこから浮上することができないままです。
政府は同和問題に対して様々な解決策を出してきますが、どれも表面上で効果的な対策ではありません。
事実、差別のリストが当たり前に存在する世の中なのですから。
まとめ
- 「ニコイチ」と呼ばれる改良住宅はスラム街解消のために建設されました
- 日本には「ニコイチ」の差別の元凶となる身分制度の歴史があります
- 昔の日本の身分制度のために今なお差別を受けている地区の人々がいます
なぜ現代も「ニコイチ」が差別されるのかという答えは差別する側の人間に進歩がないからでしょう。
誰もが自身の保身ばかり考えるあまり、不公平の上に位置する人々は、下に存在する人々が公平に扱われることに対して眉をひそめているということですよね。
これでは身分制度が当然のように存在していた中世と何も変わらないと言えるのではないでしょうか。
「改良住宅」や「ニコイチ」という差別用語を調べていたら、ふと先日起こった東京青山の児童保護施設問題を思い出しました。
差別的な目で保護施設の子供たちを見ているから「来ないでほしい」「関わりたくない」という言葉が出るのでしょう。
自分たちの暮らしさえ守られればそれでいいという考えは極端に言うと選民意識であって、ニコイチ住民に対する差別と何ら変わりないと感じたのは私だけでしょうか。