以前、家族でクイズ番組をみていたとき、漢字の書き順がでてきました。
出演者の回答に対して、
私は
と同意しましたが、
子供たちからは
というツッコミが。
と言い張る私に、
子供たちも二人がかりで
と譲りません。
と呆れていたのですが…クイズの正解は子供たちの主張の書き順だったんです。
私のように、自分が習った書き順と子供が習っている書き順の違いに驚いた方は多いのではないでしょうか。
それって何だか腹が立ちませんか?自分は習った通りの書き順で書いているのに「違います」だなんて!
書き順が変わったなんて、聞いてない!
…そうです。
変わったなら変わったと世間に対して知らせるべきですが、そんなの一切聞いたことありませんよね。
果たして書き順は本当に変わったのでしょうか?
書き順の基準書が存在する
実は書き順についての基準書があるようです!
冒頭にお話しした、家族で意見が分かれた漢字は「田」だったのですが、
私が主張したのは3画目に中の縦線を引いて「土」という字を書くという書き順。
子供たちが習っていたのは3画目に中の縦線を引いてから横線を二本書くという書き順でした。
基準書ではどちらが正しいのか、白黒つけてみましょう!
筆順指導の手引き
漢字の書き順については昭和33年年に文部省から発行された「筆順指導の手びき」という書き順の基準書が存在します。
教育漢字について、一漢字一筆順の原則から書き順の統一を図ったもので、わかりやすいように原則があり、その原則によると
【大原則1】 上から下へ書いていく(三など)
【大原則2】 左から右へ書いていく(川など)
この大原則は私も小学校で習った記憶があります。
どの漢字も下から書く人はいませんし、右から書く人も見たことありませんから、これはどの世代も共通しているようですね。
【原則1】 横画から縦画へ書く(十など)
ありました!「十」の部分は横線からということは私の書き順が当たっていたんじゃないですか!
と喜んだところで、ちょっと待ってください。
【原則2】 原則1の例外として横画があとの場合(田など)
とあります。
例外?「田」は例外なんですか。がっかり。
どうやら子供たちの主張とクイズ番組の解答が正しかったようです。
意地を張ってごめんなさい…。
筆順指導の手引きへの疑問
ここで疑問が出てきました。
「田」の字だけなら私の記憶違いという可能性もありますが、
子供たちと話してみると他にもいくつか違う習い方をしていた漢字がありましたし、
インターネットで調べてみると私以外の親世代たちからも
という声が聞かれました。
「一漢字一筆順の原則」ということは、一つの漢字に書き順は2つ以上存在しないと考えてもいいんですよね、文部省さん。
そうだとしたら基準書があるにも関わらず、なぜ親世代は間違った書き順を習っていたのか?
昭和33年に発行された基準書の書き順を、なぜそれ以降に習った我々アラフォーが知らないのか?
しかも今の子供たちが基準書のとおり習っているのも何だか不思議です。
やはり昭和33年に発行された基準書の内容は現在の内容と違っていたのでしょうか?
親世代が習った書き順は間違っている?
親世代と子供の世代で教わった書き順が違うという現象の原因は、やはり「筆順指導の手引き」にあるようです。
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「筆順指導の手引き」の内容は発行されてから一度も変更されていないのです。
それなのに昭和33年に発行された基準書がなぜ今の子供たちの書き順を変えたのでしょうか?
「筆順指導の手引き」は遅れて浸透した
書き順の統一を図った「筆順指導の手びき」は昭和33年に文部省から出版されたのですが、当時は強制力がなかったため、世の中になかなか浸透しませんでした。
そのため、この手引きが浸透する前に書き順を習った世代は昔ながらの書き順で覚えていたり、地域や教師によって教わる書き順が違ったりしていたのだそう。
それが平成以降・・・
正しい書き順として「筆順指導の手びき」が教育現場で浸透したことにより、この手引き書の基準に沿って書き順を習った今の子供たちと大人では習った書き順が違うようなのです。
決して正しい書き順が変更されたというわけではないのですね。
ということは…どちらが正しいのかというと平成以降に習った書き順に軍配が上がるということなのでしょうか。
書き順は決まりではない?!
ところが「筆順指導の手びき」には「必ずこう書かなくてはいけないというきまりではない」と書かれています!
書き順って、決まりじゃなかったんですね!
書き順を統一するために作成した基準書という割に「必ずしもこの通りでなくても…」だなんて、何だか曖昧ですね。
これでは浸透しなかったのも頷けます。
にも拘わらずテストに書き順が出ていたのは何だったんでしょう。
「漢字検定」でも8級~5級では筆順が出題されているんですよ。
回答欄に「筆順はきまりごとではないので、答えは、ない」とでも書けばいいのでしょうかね…(笑)。
なんて、ひねくれた考え方はやめて習った書き順を守りましょう。
なぜならわざわざ書き順が存在するという事は何かしら理由があるはずだからです。
書き順はなぜあるの?
「決まり事ではない」という書き順はなぜ存在するのでしょうか。
そもそも正しい書き順の根拠となるものは何なのでしょう?
書き順の根拠は様々あるようです。
文字を美しく書くため
まず一つ目の根拠は文字を美しく書く手段です。
例えば「必」という文字はどんな書き順でしょうか。
「心にタスキをかける」と教えられてきた昔の人は「心」という字を先に書いてから最後の「ノ」を書くことが多いようです。
しかし現在の書き順は先に真ん中の点を書いてから次に「ノ」の字…という書き順に変わっています。
これは、「心」を書いてからだと本来文字の中心に来るべき点が横にずれてしまうから。
より整った文字を書くことを目的とした書き順というわけです。
他にも「書」という文字について、昔は縦線を4画目に書いていましたが、現在は「日」より上の横線を全て書いてから6画目に縦線を書くようになっています。
これは横線の間隔をそろえて均等に書けるような書き順で、その方が字が美しく見えるからなのだそう。
機能性
二つ目は文字を書くうえでの機能性を重視した書き順になっているというものです。
書き順による機能性というのは「素早く書けること」と「読みやすい字になること」の二つです。
どんな筆運びをすれば無駄なく素早く文字を書けるかということを考えながら書き順はできています。
また、自己流の文字、いわゆるクセ字は他人に解読してもらえないこともあり、書き順を統一することで「この字は何と書いてあるのだろう?」と思われないように書き順は大事なのです。
草書体との関係
「田」の字の書き順が、筆順指導の手引きの原則の例外とされているのは、草書体との関係があります。
原則として「十」は横線が先とされていますが、「田」の字の中の「十」については縦線が先になっています。
これは、草書では「十」の部分を「〆」のように書くことがあり、その書き順を楷書でも使っているんですね。
「十」が含まれた「王」や「生」なども縦線が先とされています。
将棋の駒に書かれた草書体の「王」の字を思い出していただければ、縦線から入る理由がおわかりいただけるのではないでしょうか。
草書というのは楷書を崩したものではなく、
草書の成立が先でそれから行書、最後に楷書という具合に出来ていったので、草書の書き順の名残が現在の書き順に残っているというわけです。
まとめ
- 書き順を統一するために昭和33年に「筆順指導の手引き」という基準書が発行されています
- 「筆順指導の手引き」の浸透の仕方で書き順が変わったように感じられましたが基準書は決まり事ではないようです
- 決まり事ではないのに書き順が存在する理由
私が若い頃勤めていた会社の名物社長は書の達人で、よく書を書くお手伝いをさせていただきました。
知識のない私には何と書いてあるのか教えていただかないと分からないほどの達筆だったのですが、本当に「書」とは絵のように美しいと感じました。
文字を描く筆の流れるような静と動の動きは今でも目に浮かぶように記憶に残っています。
社長は若い頃に有名な政治家の秘書をされていましたが、ご自身は田舎の貧しい家の生まれだったので学校へ行っていなかったのだそう。
書も独学で上達したと話されていました。
もしかしたら筆順なんてものはご存じなく、文字を美しくする筆の運び方を独自にお持ちだったのかも知れません。
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