このページを開いた方は、タイトルの単語を聞いたことがありましたか?
意味を知らなくても、スラムという単語を見ると、日本にはあまり関係のないような用語に見えるかもしれません。
しかし、このスラムクリアランスは、今後の日本社会においても、大きく関わりのある単語になるかもしれません。
単語としてのスラムクリアランス
不良住宅が密集し住宅の老朽化が極限に達したため、スクラップ・アンド・ビルド以外の手段では地区の再生が期待できない地区において、公共団体が事業主体となって、土地を買収し、不良住宅を除却、整地後、公共賃貸住宅を建設し、地区内の貧困層を低家賃で居住させる一連の事業をスラム・クリアランスという。 住宅は土地に固定して供給され、現場生産を条件づけられるため、マスプロ、マスセールに向かず、住宅の市場は概して小さく分割されている。
(コトバンクより引用)
※
- スクラップ・アンド・ビルド:老朽化した設備を廃棄し、新しい生産施設や行政機構に置き換えて、効率化すること
- マスプロ(マスプロダクション):大量生産
- マスセール:大量販売
ここで指すスラムは貧困地域の意味もありますが、不良住宅地区という意味も持っています。
つまり、上記の解説をもっと簡単に言うと、不良住宅地区(スラム)を片付けて(クリアランス)して新たに利用するという意味になります。
再開発と言ってもいいでしょう。
スラムクリアランスを行った人物としては、19世紀にパリ市街の改造計画を推進したフランスのジョルジュ・オスマンやフランスで活躍した建築家ル・コルビュジエなどが挙がります。
意味だけで見ると、悪いものを直して使っているので良いことに見えますが、スラムクリアランスという言葉を使って行われる強制的な近代化について、批判されることもあります。
また、この政策自体は、貧困問題を解決するものではないとするものがあります。
そして、これらのことは現代日本にも当てはめることができます。
次の項目ではスラムクリアランスの問題とされる部分を見ていきます。
実際に考えるスラムクリアランス
強制排除としてのスラムクリアランス
確かに政策としての聞こえのいいスラムクリアランスですが、政府が開発を行うために、住人をそこから移動させた場合、その住人たちの行き先や就職先まできちんと保証しなければ、意味がないということです。
元々、不良住宅地区に住んでいる人は、何かしらの理由があってそこに住むことになった人々です。
お金がなくて仕事がないから、都市部にある不良住宅地区に来て仕事を求め、スラムを作っているのです。
その人々を強制的に移動させたところで、また新たな土地でスラムを作る結果になってしまいます。
また、大規模な開発は、時間とお金がかかることになります。
そうなった時、作業が一旦止まってしまうと、人々が追い出されたあげく、土地としても使えないという状態になってしまいかねません。
本当にスラムの対策をしたければ、貧困民の就職を安定させる方が、良いとする考え方もあります。
現代日本で見るスラムクリアランス
現代日本においてスラムと呼ばれるほど貧困が目立つ地域はそうそうありませんが、日本もこの問題に直面する可能性は大いにあります。
その1つは、空き家問題。
日本の空き家は2030年には30%台に乗るとの予測がされ、それに対する固定資産税の軽減措置が考えられていますが、それも限定的な対策でしかないとも言われています。
そんな状況でも田舎での住宅やアパートの建築は行われています。
そして、持ち主がわからず放置されたままの空き家はいずれ老朽化していき、再度住むためには何かしら手を打たないといけない状況になり、
それがある地域に密集すれば……同じようにスラムクリアランスをせざるを得ないことになるかもしれません。
貧困層がそこにスラムを作る未来までは想像しづらいですが、少なくとも住宅の問題は日本にも考えられるものです。
また、強制的な近代化に関しても日本の問題になる可能性はあります。
スラムクリアランスが行われるのは他国を招き入れるオリンピックや国際会議を契機に行うことが多いものです。
その理由はスラムや不良住宅地区は他国から見ることを考えると、見栄えが悪いものとされるからです。
そして、今の日本はまさしくその状況にあるわけです。
他の国へ良く見せるために工事や改修を行っていますが、これが本来の景観を損ねるものであったり、
この作業のしわ寄せがいつか来たりすることも考えておかないといけないことなのかもしれません。
まとめ
今回の記事をまとめると、
- スラムクリアランスは不良住宅地区を片づけて新たに利用することである
- スラムクリアランスには良い面だけではなく悪い面もある
- 日本にとっても問題になる可能性はある
の3つです。
今回の記事ではマイナスな方が中心になってしまいましたが、あるものをそのままにせず有効に活用していくことはとても良い試みだと思います。
皆さんも今度この言葉を見かけた時は、この記事の話を思い出して、考えてみるとより深くその事例を見ていけると思います。