皆さんは「思いやり」持っていますか?
最近は、ちょっと思いやりのない行動をとるとSNSなどで批判されがちな世の中です。
批判する人たちは果たして思いやりのある人物なのでしょうか。
私は正直に申し上げますとあまり思いやりを持ち合わせていない人間のような気がします。
最近そのように感じ始めました。
若い頃は自分のことを、どちらかというと思いやりのある人間だと思っていたのですが、人生が長いと「思いやり」って実は深くて難しいな…と感じて、「自分は思いやりを持っているようで持っていないんじゃないか」と反省するようになりました。
かといって精進が足りないのでいまだに思いやりのある人間にはなっていないのですが。
「思いやり」って実は難しいもの…今回はそんなお話をしたいと思います。
「本当に思いやりありますか?」チェック
「思いやり」という言葉の意味を調べてみると、
他人の心情や身の上などに心を配ること。
その気持ち。
と書かれています。
「それなら、自分には思いやりがある!」と胸を張った人は多いのでは?
それでは、あるようで実はないかも知れない、思いやりをチェックしてみましょう。
相手の様子を観察して気遣えますか?
まずは「他人の心情や身の上などに気を配ること」ができるかどうかです。
私に一番欠けているのはここなのですが、とにかく気が利かないんですよね。
以前、職場で朝5分ほど遅刻してきた職員がいました。
遅刻扱いになるので簡単な遅刻報告の書類に記入してもらったのですが、遅刻理由は「時間に余裕をもって自宅をでなかったため」でした。
私はそのまま上司にその書類を提出したのですが、遅刻した職員の様子がいつもと違うことに気づいた上司が「余裕を持って家を出れなかった理由があるんじゃないの?」と質問してきました。
そこで直接理由を聞いてみたところ「実は今朝、愛犬が死んでしまって…。でも遅刻の理由にはならないから書けなかった」と言われました。
それを聞いた上司が出勤の打刻は5分遅刻だけれども、正当な理由があったとして正規の時間で承認してあげた、ということがありました。
このとき「何て思いやりのある人だろう!」と大感動した記憶があります。
相手が何も言わなくても、気をまわして相手のために何かできる人は間違いなく思いやりのある人ですね。
このレベルの思いやりを持っている人はなかなかいないかも知れませんが、思いやりをかけてもらった方はずっと忘れないのではないでしょうか。
相手の気持ちになって考えることができますか?
ひとつ上のチェックと同様に思えますが実は結構違うのが、「相手の気持ちになって考えることができるか」という点です。
恋人と別れたばかりの友人の前でのろけ話をするような人は論外ですね。気配り以前に普通気づくことですから。
相手の立場がわかっているのに無神経な発言や行動をしてしまう人、いますよね。
先日職場で、正職員のみ対象のギフトカタログが届き商品を選んでもらっていた場面での出来事なのですが、対象外の職員に対して「○○さんは何を選んだの?」と質問した職員(中間管理職)がいました。
嬉しくてつい相手が対象外だということを忘れていたという可能性もありますが「私はもらえないから…」という返事に「そっか♪」だけだったというのは残念です。
些細なことと思うかも知れませんが、質問された人はその人に対してその日から何となく信頼の気持ちを失ったと話していました。
そういえばその中間管理職さんはボーナスの対象外の職員の前で「明日はボーナスだわ♪」と平気で言ってしまう人なのであまり人の気持ちに気づけないタイプなのでしょうね。
意外と気づかずにやってしまうことが多い、この手の失敗はありませんか?
たまになら許されますが、普段からこのような行動をとる人は徐々に敬遠されていきますね…。
相手を優先することができますか?
これも私にとって耳の痛いチェック項目です。
極端に言ってしまえば「自己犠牲ができるか」という問題なので、なかなか難しいですよね。
自分が忙しい時に人に頼まれごとをされる場面は多いと思います。
そんなときは相手の頼みごとの内容が優先だと思った場合、迷わず手を貸す必要があります。
自分のことは後回しにして他人の手助けができますか?
「そんなの自分でやってよ」と思いがちですが、感情的にならず今一度相手が何に対してどんな理由で困っているのか思いを巡らせてみると、大抵のことは相手を優先することができるはずです。
「自己犠牲までしなくても思いやりは思いやり」だと思うかも知れませんが、厳密に考えるとやはり違います。
自分に余裕のある時だけ、自分の都合の良い時だけ親切にするのは「思いやり」とは言えないかも知れません。
間違った「思いやり」を持っていませんか?
ここまで「思いやり」について考えてみて、やっぱり自分は思いやりのある人間だと思った方もいるかも知れません。
ここでは、その思いやりは本当に「思いやり」なのか?というお話をします。
私が自分の思いやりに自信が無いのはまさにこの部分で、同じように感じている方も多いのではないでしょうか。
親切はすべて思いやりなのか?
親切が「思いやり」として相手に伝わる瞬間とは、相手が感謝をしたときなのではないでしょうか。
そして、親切に対する感謝を感じる瞬間には本能が働いている気がします。
「親切だと思われたい」という自己愛からいつも人のために何かしようとしている人がいますが、その親切は本当に相手を思って行う親切ではないので「お節介」であることが多いのです。
間違った思いやりを押し付けてしまう人は「嫌われたくない」「自分を守りたい」という自己中心的な考えを持っています。
そんなうわべだけの親切に対して、人は潜在的に感謝を感じないようにできていると私は思います。
厳しい人は思いやりのない人でしょうか
いつも人に対して親切にしている人は「思いやりがある」という印象がありますよね。
それではいつも人に対して厳しい人は「思いやりがない」のでしょうか?
厳しくすることが思いやり、という考え方の人も中にはいますよね。これは勇気のいることです。
相手のことを思いやって厳しくした場合、相手が成長してくれなければ「厳しい人」で終わってしまうからです。
「あの厳しさは思いやりだったんだ」と気づいてもらえない可能性も充分ありますよね。
それでも厳しくできるのはすごいことだなと、つい行き当たりばったりの親切をしてしまう私は尊敬してしまいます。
これこそが本当の「思いやり」ではないでしょうか。
甘やかし
間違った思いやりの一つに「甘やかし」があります。
何でも面倒をみてあげることで相手をだめにしてしまうケースですね。
なぜ相手を甘やかすことになるのか?それはやはり相手に「好かれたい」「感謝されたい」という欲が根底にあるからでしょう。
子どもを甘やかすことを無償の愛だと勘違いしている親御さんもたまにいるようですが、本当は自分でやってみたいと思っている子供に対して成長を妨げる結果になってしまいます。
それは子供の気持ちを考えた手助けの仕方ではありませんよね。
子どもやパートナーを甘やかすのはその対象に依存していることが多く、結局は自己中心的な考えから生まれる「間違った思いやり」なのです。
「思いやりのない人」になっていませんか?
もしかしたら自分は思いやりのない人間かも知れないと不安になってきた方がいたら、逆に「思いやりのない人の特徴」を見てみると自分が当てはまるかどうか判断できるかも知れません。
しかしながら、思いやりのない人とはそうそういるものではありません。
恐らく大抵の人は「思いやりのない時がある人」なのではないでしょうか。
自己主張が強くはないですか?
会話しているとすぐに「自分は~」だとか「そういえばこの前ね、」という風に自分の話を始める人、周りにいませんか?
他の話をしているのに何でも自分の話に持っていく人は、ウンウンと相槌を打ちながらも「いつ自分の話を切り出そうか」とそればかり考えていて相手の話を上の空できいている可能性が高いですよね。
人の話を聞いてあげることができない人は思いやりを持てませんよね。
実は私もそこまで極端ではありませんが、うっすらと思い当たる性格の持ち主です。
あ、今も「実は私も~」と言いましたよね(笑)ここまで書いてきたエピソードも自分が持っている話ばかりを例に出しているようです!
冗談はさておいて、実際人の話を聞いていないというつもりはないのですが、話の途中で自分の体験談や意見が頭の中に浮かぶとすぐに話したくなってしまう性格は事実です。
一般的に優しいと言われる人は聞き上手であることが多いです。
相手の話を親身になって聞くことができる人が「思いやりのある人」と思われるのは当然ですね。
自己中心的な行動ではありませんか?
公共の場や職場で見かける思いやりのない行動とは、自分のことしか考えていない、自分勝手で自己中心的な行動でしょう。
電車やバスで席を譲らない、仕事のミスを他人のせいにする…。
自己愛が強いと、自分が損をすることを恐れて思いやりを持てなくなります。
どうしたら相手に対して親切なのかを分かっていながら思いやりを持てない人物はなかなかの重症ではないでしょうか。
つい思いやりのない行動をとってしまう場面も
一方、つい自己中心的な行動をとってしまうことがある。という程度の軽傷の方はたくさんいるのでは?
人にはそれぞれその時の事情があり、忙しくて精いっぱいなときもあれば悩み事で人に構っていられない場面も正直ありますよね。
そんなときはひとこと「ごめんね、こういう事情で」と話をするようにして、できるだけ相手を傷つけないように気を配りましょう。
自分をかばうわけではありませんが、全く心当たりがないなんて人は相当の人格者なのではと思います。
なぜなら人は皆、聖人君子ではないからです。
何事に対しても思いやりのない行動をとる人は、たしかに「思いやりのない人」ですね。
しかし多くの人は普段は思いやりを持ち合わせているのに、思いやりのない行動をとってしまうこともある。という程度ではないでしょうか。
まとめ
- 本当に思いやりがあるかどうかチェックしてみると、実はそうでもないとわかるかも知れません
- 間違った思いやりは自己愛から生まれ、うわべの親切に対して人は本能的に感謝を感じません
- 思いやりのない人とはそうそういるものではなく、大抵の人は思いやりのない時もあるという程度なのでしょう
私は介護職ではありませんが、老人福祉施設に勤めています。
専門知識はありませんが、入所者さんと介護職員の関係を見ていて思うところが日々、たくさんあります。
まず入所者さんの気持ちに寄り添うことができない人は介護職に向いていないのでは、と強く感じます。
あくまで専門知識のない私の意見なのでもしかしたら「そんなことはない」と言われるかも知れませんが、私が入所者さんの立場だったらどう思うだろう?と疑問に感じる仕事ぶりの職員はたしかにいます。
介護の仕事をすべてを完璧にこなすことは本当に大変だと思います。
やることが山ほどあって、しかも命を預かっていますから優先すべきことは他にもあるのかも知れません。
それでもやはり、入所者さんに対しての「思いやり」は介護の根底にあるべきもので、それを失ってしまったら介護ではない気がするのです。
中には忙しい中でも思いやりを常に持って仕事をしている職員もいて、これはもう、本当に尊敬します!
その姿が本物の介護職なので、修行の足りない私にはとても勤まらない仕事だなと思うのです。
人の心に寄り添うことは、気が向いたときや自分に余裕のある時はできるのかも知れません。
しかし常にその「思いやり」を持ち続けて、いかなるときも「思いやり」を持って接することのできる人はなかなかいないのではないでしょうか。
それでも投げやりになったりせず、一人一人が一つでも多く思いやりを持つことができれば…きっと世の中は少しずつ良くなっていくのではないでしょうか。